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いわさきちひろ氏*人生の奥深さ

2018.07.28 18:00|感じたこと、考えたこと
いわさきちひろ

先日、友人に誘われて東京ステーション
ギャラリーで開催中の「生誕100年、
いわさきちひろ、絵描きです。」展に
行ってきました!

行く前までの「いわさきちひろ」さん
に関する私の知識といえば・・家によく
かかっていたカレンダーのふわっとした
子供や花の挿絵を描かれた方、切手の
図柄でも時々見るなーというくらいの
もの。ちひろさんの絵は好きでしたが、
知っているのはそれだけでした^^

展示を見て初めて、岩崎知弘さんが戦時中
に満州に行かれた経験があったことや、
共産党員であったことを知り、また、私
が見慣れたふわっとした絵だけでなく、
以前は、人民新聞にハッキリしたゴツゴツ
した線の挿絵も描かれていたと知り、
とても驚きました。

輪郭線を描かないふわっとした童画家の
イメージの奥にある「いわさきちひろ」
さんの人生に興味が湧き、家に帰って
早速、ちひろさんの人生に触れていそうな
本を3冊(「若きちひろへの旅」上・下巻、
「思い出のちひろ」)を購入し、一気に
読んでみました^^

読み終えての感想を無理やり一言で
いうなら・・「いわさきちひろ」さんと
いう人格に、何重にもわたる「奥行き」が
加わったというのが一番近いでしょうか・・

多くのことを感じたものの、まだ完全には
消化しきれていない、というのが正直な
ところですが・・^^; 、私と同じように
「いわさきちひろ」さんといったら、
ほんわかした子供や花の絵を描く人、と
いう認識のみだったという方もおられると
思うので、今これを読んでくださっている
のも何かのご縁でしょうから、私が本を
読んで感じたことのうち3点について
シェアさせていただければと思います。


★30歳過ぎてから本質に沿った生き方へ!?

女学校時代の同級生たちが語る岩崎知弘さんの
印象は、にこやかに話を聞いている人、
というもので、少女の雰囲気を残した容姿
とも相まって、他の人がみる知弘さんの印象は
20代まで同様のものが多かったようです。

絵の道に進みたいと両親に言ってみるものの、
反対されるとすんなりと花嫁修行の道に進み、
親の強い勧めに従って最初の結婚もしています。

しかし、相手から強く望まれての結婚だった
ものの、近づくのも身の毛がよだつほど嫌と
いう感覚は、大連で結婚生活を始めてからも
変わることはなく、仮面夫婦の結婚の結末は、
ご主人の自殺という悲しい出来事で終止符が
打たれるのです。親戚にすらひた隠しに
されたものの、配偶者の自殺という経験は
さまざまな思いを知弘さんにもたらしたで
あろうことは想像に難くありません。

しばらく日本で生活したのち、夢と希望に
溢れた国、と宣伝されていた満州に、花嫁
候補の女子青年団の習字の先生役という
肩書きで一緒に渡ることになるのですが、
そこで見た光景と生活は日本で宣伝されて
いるイメージとは全く異なり、大きな
衝撃を受けたようです。

それでも、終戦の1年前に日本に戻れた
のは幸運だったと言えるでしょう。帰国後、
中野で空襲にあい、燃え盛る炎の中、
妹さんと一緒に、日頃、訓練で言われて
いる通り、バケツで家に水をかけ続け、
最後には命からがら逃げのびたとのこと。

こうした経験が、のちにベトナム戦争で
苦しむ母子や子供たちを扱った絵本の
作成にいわさきちひろさんを駆り立てた
のだなぁと納得しました。

疎開先の長野で終戦を迎えた知弘さんは、
それまで抑えられていた好奇心が花開き、
共産党の会合にも、従兄弟や妹とともに
参加します。(当時は、新しい考え方と
して、興味を持つ人も多かったようです)

参加したといっても、知弘さんはただ
黙って聞いているだけだったそうですが、
その後しばらく学びを続けた後、共産党
に入党したいと自ら申し出、共産党が
主催する芸術学校に応募し、許可が出る
とすぐに東京へと一人戻った頃から、
絵で生活を立てていく!と決意するなど、
自分の人生の舵を自分で握る生き方へと
シフトしていかれた様子が伺えるのです。

10代の頃から、地域の水泳大会に飛び
入りで参加して優勝したり、大学野球が
見たいがために、あなたのファンなのだ
けどチケットが手に入らなくて・・と、
直接、選手に手紙を書いたり、長野に
やってきた有名な運動選手と一緒に写真
を撮って、現像した写真を持って、再び
サインをもらいにいったり・・と、少女
時代から活動的な側面はちょこちょこ
垣間見られたものの、全般的には当時の
社会規範に従い、模範的な女性像の枠に
自分を当てはめて生きていた知弘さんが、
自らの本質に沿った生き方へと本格的に
舵を切ったのは、30歳頃。。

それまでの様々な出来事のどれ一つが
違っていても、そこには行き着かなか
ったのでは?と思えるだけに、宇宙の
導きというのはすごいなーと改めて
感じるとともに、親の勧めで結婚した
頃は表情さえなくなっていたという
知弘さんが、そこまで変化されたこと
に、人が本来持っている底力のような
ものも感じ、ちょっと嬉しくなりました。


★自分軸(思想軸)の確立

本を読んで驚いたのは、おそらく1950年
にレッドパージ(赤狩りとも言われたそう)
の嵐が吹き荒れていた頃だと思いますが、
夫婦ともに共産党員だったちひろさんの
自宅に泥棒が入り私信を2通盗まれた、
住み込みで働いていたお手伝いさんが、
突然誘拐され、隙を見て逃げてきたという
ものの、戻ってきた後は様子がおかしく、
最終的に病院に入院した後に自殺、診察
した医師も突然の死を遂げるという陰湿な
スパイ事件があったとの記述。

そんなことがあったの??ということ
そのものにも驚いたのですが、配偶者の
善明さんによれば、そういった一連の
出来事に対し、ちひろさんは落ち着いて
冷静に対処していた、そこは明確に、
戦う同士だったと評しておられたこと
に、絵の雰囲気からのイメージとは
異なる、ちひろさんの確固たる精神と
いうか、強さのようなものを感じました。

もう一つ、その日に泊まる当てもなく
一人東京に出てきた(戻ってきた)見ず
知らずの知弘さんを泊めてくれた時から、
親しく交流していた、画家の丸木位里・
丸木俊夫妻が、部分的核実験停止条約の
評価を巡る意見書がもとで共産党を除名
されることになった時、自らの考え・
思想と徹底的に向き合ったというような
ことが書かれていて、そうした経験を
重ねる中で自分軸を確立されていった
ことがうかがわれ、あのふわっとした
絵の根底には、明確で強固なブレない軸
があったことを知って、ちひろさんと
いう人間の奥深さを感じました。


★治ったら今度こそ無欲の絵を描きたい

「いわさきちひろ」さんは、肝臓癌で
この世から55歳で旅立っています。私は
病気は何らかのお知らせ・身体を使った
魂からのメッセージ(ほとんどの場合は
警告)だと考えているので、いったい、
どんな葛藤をちひろさんは抱えていらした
のだろう・・ということも気になりますが、
病床でちひろさんが語ったという、
「治ったら今度こそ無欲の絵を描きたい」
という言葉が、妙に心に残りました。

夫の善明さんが司法試験の受験準備に集中
している間の生活を、ちひろさんが絵を
描いて支えたということなので、ちひろ
さんの画風として確立しているといっても
過言ではない子供や花の絵は、ちひろさん
にとっては、収入に密着した仕事としての
側面が強かったのかもしれない・・と、
この言葉を読んだ時、思いました。

「まったく勇ましくも雄々しくもない私の
もって生まれた仕事は絵を描くことなのだ」
と晩年に語ったという、いわさきちひろさん
の無欲の絵、見たかったなー^^私的には、
ここまで“自分の仕事”を言い切っている、
その境地に至っていた時点で、尊敬です〜♪

「生誕100年
 いわさきちひろ、絵描きです。」展は、
東京ステーションギャラリーで、
9月9日まで開催しています^^


#いわさきちひろ
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脳は司令塔ではなかった!

2018.06.18 18:00|感じたこと、考えたこと
FC2用人体展


国立科学博物館で昨日まで開催されていた
「人体」展、足を運ばれましたか?

数日前に私もようやく訪れることができて、
噂の館内に潜入(笑)してまいりました。

もろもろの感想はさておき、私が行って
よかったなーと感じた一番の要因は・・

身体を機能させる司令系統について、
これまで持っていた観念を、体感的に
書き換えることができた!ことです。

これまで生きてきた数十年の間、私は
(おそらく、今、これを読んでくださって
いるあなたもお仲間でいらっしゃる
かと・・^^;)、脳が全ての司令を司って
いるものと思って過ごしていました。

それは、世の中の一般的な理解がそうで
あった=常識とされているものがそうで
あったからで、私は疑問を感じることも
なく、それをそのまま信じていました。

ところが!!最新の研究の結果、現代の
常識は、臓器同士がコミュニケーション
をとっている(脳だけが司令塔ではない)
というものに変わっているというのです。

昨年、NHKでシリーズ番組が組まれて
放送されていたので、あなたもご覧に
なられたかもしれませんね。

実は私が、「人体」展に興味を持ち、
行ってみたい!!と思ったのも、その
番組の一部を観たからなのですが・・
(番組制作者の思惑通り・・苦笑^^;)

頭ではすでに知っていたことではある
ものの、実際に体感知となるまでは、
実感として、臓器同士の間に情報ネット
ワークが張り巡らされていて、互いに
伝達物質を出し合って常にコンタクト
し合っている(司令を出し合っている)

という事実(これも現時点で解明が
及んでいる範囲で事実とされているもの
であって、本当のところはまだまだ
未知数ですが^^)は、私の中で完全な
理解(=身体に対する見方や接し方を
変化させるほどの理解)には至って
いなかったのだと、今回、実際に展示
を見に行ってみて、気づきました(笑)

展示そのものが、臓器同士の情報
ネットワークを体感できるように
つくられていたという素晴らしい
工夫のおかげで、私は知識と体感覚
のズレを修正することができ、

「脳が全ての司令を司っている」と
いう古い概念から、「臓器同士が
情報物質を出して司令を出し合い、
総合的にコントロールしている」と
いう新しい概念に書き換えることが
できたというわけです。

さらに、「人体」展を訪れること
によって感じたことを、3つお伝え
させてください。

1つは、ここで概念をガラッと書き
換えることができないと、私(たち)は、
古い時代の人になってしまう!!と
いうこと。

「人体」展には数多くの修学旅行と
思われる中学生や、小学生が訪れて
いました。彼らは、今の年齢すなわち
10代から、臓器同士が情報ネット
ワーク化されていて、その緻密かつ
壮大な情報ネットワークが総合的に
身体の状態をコントロールしている
ということを、身体に関する常識と
して生きていくわけです。

あらゆる司令は脳から出ている、と
思っていた時と、あらゆる臓器、
つまり身体中のあちこちに、司令を
だす司令塔の役割を担う場所がある、
とわかった後では、身体に対する扱い
が変わっていくだろう、という気が
実は、しています。

少なくとも、私の中では、何かが
変わりました。これまでの「頭」が
とにかく大事!!(司令塔である脳
がある場所だから)という一辺倒
から、身体中、どこも同じように
重要な存在とみなすというような・・
うまく説明できないのですが、その
認識の差は、きっと、身体に対する
扱い方にも影響を与えるに違いない
と思うのです。

新たに解明された認識を常識として
生きる人と、それ以前の認識(脳が
全ての司令を司っている)で生きる
人との間には、必ず何か大きな違い
ができてくるに違いない・・ 

それは、心臓に心が宿っていると考え
最重要視した大昔の人たちや、脳の
中の脳室にこそ、精神を含む機能を
司る秘密があると考えたレオナルド・
ダ・ヴィンチ時代の人たちの考えを、
今の私たちが“古い時代の考え”と
感じるのと同じことが、今の子供
たちと私たちの間に起こりつつある、
ということではないでしょうか。

ひゃ〜!!ぼーっとしていると、
“古い時代の考え”から抜けられ
なかった人(=過去の概念の世界で
生きている人)になってしまう・・!

生きている間に、身体に対する認識
の常識が変化する時代に生きている
って、結構すごいことだと思うのですが、
その時代を選んで生まれてきた(自覚は
ないですけど^^;)以上は、この変化の
波にしっかりとのっていくことも
できるはず♪なので、ちゃんとのって
いくぞー と思った次第です^^

2つ目は、直球すぎ!!の感想ですが・・
人間の身体ってすごいなー(^0^)
ということ。

こんな精密な情報ネットワークを
身体の中に内蔵したまま歩いたり
走ったり、時にはドンっと何かに
ぶつかったりして衝撃を与えても、
滅多なことでは故障もせずに動き
続けているのですから。

人間の身体の凄さは、抗がん剤治療を
受けて、次から次に副作用が出て、
身体機能がどんどん落ちていった時に
実感したことがあります。

明らかに、私の顕在意識が司令を
出したものではないのですが、身体
は勝手に順番を決めて(基本的には
末端から)、身体の機能を切って
いっていました。

毛が抜けていく順番も、ちゃんと
意味があって、頭の髪の毛→眉毛
→睫毛という流れになっていたんだ!
ということ一つをとっても、後から
考えてみると、なるほど、すごいな
と思うことばかりです。

神経も末端から感じられなくなって
いくんですよー 手足もそうですが、
舌は真っ先ですね!(これ一つ
とっても、私の意思とは全く関係
なく司令が出ていることがよく
わかります*笑)

=想像上の会話=
心臓 or 肝臓あたりの臓器
「全身にエネルギー届けるのは
もう無理そう〜」
それを聞いた、例えば舌が・・
「OK! 私、切ってくれていいよ」

のような(あくまでイメージです^^)
やりとりがあったのかもしれません.

「え!?俺(私)!? (-_-;)」って
反応する臓器はいないと思うけど、
そんなやりとりも想像すると、
ちょっと面白いですね^^

生きていく上で不可欠な内蔵の働きを
止めないために、(脳が、と当時は
思っていましたが、実際には)身体
が高スピードで(多分^^)伝達物質
を発しあって総合的な判断を下し、
有事に対処していたのでしょう。

私たちは、もともと、ものすごく
高度で迅速な調整/修復能力を備えた
ボディスーツをまとっているような
もの。その奇跡のような素晴らしさ
を知れば知るほど、これを維持する
ために大切に扱っていきたい!!
という気持ちに自然になりますよね^^

3つ目は、人は、人間について探求
することをやめない・・人類の、自らに
対する好奇心は半端ない!ということ。

歴史を振り返ってみれば明白ですが、
紀元前から現代に至るまで、宗教に
よる禁止令などによって歩みが遅く
なった時代はあったとはいえ、人類は
常に、自分たちの心と身体の機能の
仕組みについて探求し続けてきました。

我々自身について知りたい!と思い、
探求することは、太古の昔から人類が
行ってきた、人としてごく自然な行動
だということです。それは、現代でも
同じこと。

今でこそ、身体のことは医療関係者
などの専門家に、心のことは心と
精神の専門家に任せきりになって、
自ら探求することが減ってきている
感はあるものの、“自分を知る”こと
に興味を抱く人は多いと感じています。

そして、それがとても自然なことで
あることは、歴史が証明しているの
ですから、その好奇心を抑えること
なく、臆することなく、“自分を知る”
試みにどんどんチャレンジしてみると
良いと思うのです。

身体や心の動きも、自分自身の特性も、
より正確に把握することによって、より
的確な扱いや適切なケアができるように
なります。そうした理解と実践の先には、
今、私たちがイメージできるよりずっと
多くの素晴らしい恩恵が待っているかも
しれません^^

“人間”ってまだまだ未知数。
だからこそ、とっても面白いですよねー



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#人体 #脳

その“当たり前”、本当ですか? 〜常識と自分軸〜

2018.05.28 18:00|感じたこと、考えたこと
ここのところ、アメフトの試合で
起こった悪質なタックル事件が、
テレビや新聞で報道されて関心を
非常に集めていますね。

先日、加害者である選手が顔も
名前も公にして謝罪をしたことで、
さらに多くの人がさまざまなコメン
トをするような状況になっています。

今日は、この事件に関連して考えた
ことをお伝えしたいと思います。

お話したいのは、彼がしてしまった
ことや監督やコーチの態度について
どう思うか、ということではなく、
彼の感覚や考えの変遷から感じたことです。

この選手が、意図的に他の大学の
選手に怪我をさせたという事実は、
もちろん許されることではないです
し、彼の人生からも消すことはでき
ません。本人も述べている通り、
監督やコーチの指示があったにせよ、
最終的にやると決めたのは本人なの
で、そこは逃れる余地はないという
のも、その通りだと思います。 

ただ、実は、この選手は、監督や
コーチからこうした指示内容を受け
ることに対して、少なくともそれを
聞いた時には、私たちが同じ内容を
聞いて感じるような「それは絶対に
あってはならない、あり得ないこと
でしょ」という感覚を、そこまで
持っていなかったのではないか?と
いう気がするのです。試合から外され、
練習にも出してもらえないという状況
に陥った自分自身の至らなさの方を、
むしろ責めていた可能性もあります。

これはあくまで推論に過ぎませんが、
報道されている監督やコーチの言葉
が、今回だけ特別に発せられたとは
思えない・・ こうしたことは、
これまでも言われていたのではない
か?と感じたのは、私だけではない
のではないでしょうか。

もし、事実だとしたら本当に残念な
ことではありますが、この選手が
所属していた大学のアメフト部では、
そうしたことは、ひょっとしたら
“普通”だったり“たまに”(
“よく”ではないことを祈りますが)
あることだったのかもしれません。

そうなると、その中で日常を過ごし
ている人にとっては、いつしかそれ
が“当たり前”になってしまい、
「それはおかしい」と感じる感度が
とても低くなってしまいます。

今回の事件は、内容が人に怪我を
させるという激しいものだったので、
別世界のように感じがちですが、
実は、こうした感覚の麻痺は、
私たちの日常でも、そこここに
見られることだと思うのです。

例えば会社もそうですね。私自身、
5つの会社に正社員として勤めた
経験から、会社によって風土は
もちろん、“普通”や“当たり前”
も全く異なるということを肌で
感じましたし、現在も、研修で
異なる企業にお邪魔させていただく
中で感じます。

ある会社での“普通”や“当たり前”は、
別の会社では、全くそうではない、
ということは珍しくありません。
でも、中にいる人が、そのことに
気づかないこともまた、珍しくないのです。

実は、この“当たり前”“常識”
ということに関して、私は、社会人
になって1年ほどたった頃に強烈な
体験をしたことがあります。

当時は航空会社で国際線を飛んで
いましたので、機内にいる時間が
結構長かったんです。時間が長いと
いろいろなことが起こるもので・・^^;

ある時、お客様の間でトラブルが
起こり、6人くらいで言い合いが
起こったことがあったのです。
他のお客様もいらっしゃるので、
ひとまず、ギャレーと呼ばれる
サービス準備をする場所に、
お一人ずついらしていただいて
お話を伺うことにしました。

それで、それぞれの方の言い分を
聞かせていただいたのですが、
6人全員が、異なる見解に基づいた
主張をされていて、全く相容れない
状態でした。そんな中、実は、
たった一つだけ、共通していること
があったのです!!

とうとうとお話された最後に
「だって常識だろっ」という決め
台詞で締めくくられた点だけは、
全員共通でした(笑) 6人から
その言葉を聞いて、私は、“ああ、
この世に共通の常識なんてものは
ないんだな、人々がいう常識という
のは、その人がそれまで生きてきた
環境の中では、多くの人がそう考え
ていた、ということにすぎないのだ”
と、思いました。

その思いは今でも変わりません^^

“普通”“当たり前”と自分が感じ
ることに対して、“本当にそうなの
か?”という視点を、常にもって
おくことは、とても大切だと思い
ます。なぜなら、その“普通”や
“当たり前”は、たまたま自分が
身を置いている環境ではそうだ、
というだけとことも多くあります
から。

ここで再び話を、件の選手に戻すと、
彼は、タックルをしてベンチに戻った
直後に、大変なことをしてしまったと
気づいて泣いたと言っています。
おそらく、この時に彼は、我に返った
のではないでしょうか。

その思いを監督やコーチに伝えて
返ってきた反応に彼は納得できず、
最終的に顔も名前も公に出して謝罪
をするという選択をしました。自分
はどういう人間として生きるのか?
どういう人でありたいのか?につい
て、考えた結果が、その選択だった
のだと思います。

この、自分はどういう人として
生きたいのか?大切にしたい軸は
なんなのか?をしっかり考えること
は、誰かに言われた通り、あるいは、
なんとなく、それでいいんだと思い
こんでいる人生を生きるのではなく、
主体的に人生の舵をとって生きたい
と望んでいるのなら、欠かすことの
できないとても大事なステップだと
感じています。

前半でお話しさせていただいた、
今の自分にとっての“普通”
“当たり前”って本当にそうなの?
という視点を持つこと、そして、
自分はどんな人間として生きたい
のか?大切にしたい軸はなんなの
か?をしっかり考えること、の
2つは、キャリアと人生を考える
上でも、実は、とても大切な
ポイントです。

今後はどの方向に向かいたいか?
と、キャリアと人生について考え
る際には、自分はどんな人間と
して生きたいのか?大切にしたい
軸はなんなのか?をしっかり考え
ることが、ベストの選択をする
ためには欠かせません。

一方で、ともすれば、望む方向へ
と舵を切ることにブレーキをかけ
るのが、今現在、自分が置かれて
いる環境での“普通”や“当たり
前”、“常識”と思いこんでいる
考え方だったりします。その時に、
それって本当にそうなんだろうか?
という視点を持つことが、自ら
かけているブレーキを緩め、望む
方向へと一歩を踏み出すことに
繋がってもいくのです♪



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プロフィール

yukikosato☆

Author:yukikosato☆
 はじめまして。
 本来の自分を生きたいあなたを応援する、ハピネス・プロセス案内人♪人生の転機応援ナビゲーターの佐藤 由紀子です。

 何かを変えたい、自分の可能性を試したい、もっと成長したい!
そう思うことはありませんか?

 私はセミナー・コンサルティング・個別セッション・ワークショップ等を通じて、自分らしさを発揮しありたい自分を生きたいと願う人が、望む人生を実現するのを応援しています。なぜ、この仕事を始めたかといいますと・・・元々、社会人となって20年余り、ホスピタリティと人材開発の分野でキャリアを積み、人の可能性を信じてきました。しかし、私が初めて本当に、人が本来もっている力の偉大さを感じたのは、進行がんの宣告を受け、治療を受けているときでした。

 進行がんの治療で抗がん剤を投与する選択をしました。抗がん剤は、正常な細胞にとっては、毒・・それも、一気に大打撃を受けてしまう猛毒です。何度も投与されると、細胞そのものが弱ってきてしまい、だんだんと、数が増えてくるスピードが遅くなってきます。そうなると、生命を維持するのに欠かせない内蔵の機能を守る為に、身体の末端である手足の神経を麻痺させてでも、細胞は命を存続しようと努めます。そんな状況になっても、さらに時間がかかるようになっても、白血球の数は必ずまた増えてくる・・・。

 人間だったら、何度がんばって戻しても、また叩きのめされてやられてしまう・・・となったら、そのうち嫌になってあきらめてしまうでしょうし、動物だって何度か経験して学習したらあきらめてやらなくなってしまうでしょう。ですが、細胞は違うのです。細胞は、決して、あきらめるということがありません。細胞は、私が死ぬ瞬間まで、全力で修復に向かう、最後の一瞬まで私の味方なのだ、と痛感しました。この経験を経て、人間の細胞の凄さを体感し、その計り知れない存在に畏敬の念を抱くとともに、人が本来もっている力と可能性が無限であることを確信しました。



 この体験は、それまでの生き方を全否定し、自分はいったい何をしていたのだろう・・という、自己否定と自分を責める気持ちばかりが溢れていた私に勇気をくれました。もちろん一度崩れたアイデンティティーが戻るまで、非常に不安定な状態が長く続きましたが、その後、2年間の療養生活を送りながら、自分自身を見つめ直し、内面を探る作業を続けた結果、これまでの価値観とは大きく異なるものの見方、考え方を自分の中に取り入れ、実践することができるようになりました。

 人生は、実は、すごくシンプルにできているのだと思います。心から望むことの実現は誰にでもできます。自分が思っているよりも、細胞レベルではもっともっと素晴らしい可能性に満ちあふれています。こうした気づきへの学びを深めることに自らも精進しつつ、”本当のあなたはもっと凄い!”を伝え、心から望む人生、ありたい自分、を生きたい!と願う人のサポートをさせていただくことに歓びを感じています。





◇ 将来の夢

 自然の中に住み、毎日、朝日と夕日を拝んで1日をリセットしながら暮らすこと♪

 魂に響くコト、モノを提供できるようになること♪

 その人ならではの輝きを発している人の姿と想いを数多く記録し、多くの人に届けること♪

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